パーソナリティブログ

2013.04

ボランティアに行ってきました^^

とある高齢者向けデイサービス事業の方々と親しくさせていただいているご縁で
先日、昭和歌謡曲のレコード演奏と、
その歌にまつわるトークのボランティアをさせていただきました。

現在相変わらず忙しい毎日であり、準備時間が出発直前の15分しか取れず(大汗)
写真を撮る余裕もなく、なんともバタバタでやっと現地に駆けつけたのですが
結論から言うと「とても楽しかった」「お誘いをいただき本当に良かった」ひとときでした。

大部屋に案内され、目の前には70~90代の約10名の方々。
お好きな歌手は、美空ひばり、三橋美智也、藤山一郎など。
軽い挨拶と一人ひとりに話しかけながら
まずは「岸壁の母」のエピソードのトークとレコード演奏。
続いては、「異国の丘」のエピソードのトークとレコード演奏。

ここで、昭和10年お生まれの男性が突如、号泣なされました。

どのような思いが胸を去来されたのかはわかりませんが
お気持ちが生で伝わって来、こちらも思わず目頭が・・・・
しかし!ここで気持ちが揺れてるようじゃクールじゃない!と自らに言い聞かせ
平静を装いながらプログラムを進行していきました。

他に、憧れのハワイ航路、有楽町で逢いましょう、勘太郎月夜唄、妻恋道中などを演奏しました。
ラジオと違い、聞いてくださる方々の目の動きが、表情の移り変わりが感情が肌で感じられ、
とてもためになった体験でした。
昭和歌謡のボランティアは初めてです。

人生の締めくくりを迎えようとする方々の思いは、まだ僕にはわかりませんし
こういった曲のエピソードも気がつけばネットの情報をそのまま棒読みするような
体たらく放送の時も無いとは言えないのが現状です。

そういえば、今から15年ほど前のカンヌのパルムドールの
「永遠と一日」と言う映画を当時見たのですがさっぱり意味が分からず
今見ても、まだ理解ができません。
永遠と一日とは、人生の終末を迎えたひとりの男の物語です。

つまりは自分にはまだまだ知らないこと勉強することがあまりにも多すぎるのです。

ラジオ放送とは違った角度から昭和歌謡を語ることができ、今後の励みにもなりました。
またお誘いいただけるようお願いし、帰路につきました。 
(しっかりと番組の手作りチラシも配ってきました笑)

投稿日時:2013.04.16() 21:03:00|投稿者:matsuyamay コメント(17)

昭和初期の満州と三股と昭和歌謡

3月21日の昭和歌謡玉手箱は、H3~H15まで三股町会議員を務められた
永山龍郎さんをお迎えし、満州と戦前戦後の三股小・中のお話など伺いました。




永山さんは、三股地域の老人会の会長をしている僕の父親がお世話になっており
そのご縁でスタジオに来てくださいました。

町会議員時代65kgだった体重が現在は50kgほどで
体調もすこぶる快調だとおっしゃっていました。
野菜中心の食生活と適度な運動を心がけているとか。
昭和10年生まれの78歳ですが、顔色も肌もとても色艶よく
若々しい方です。




永山さんが生まれた昭和10年といえば、昭和7年の満州建国、
昭和12年の盧溝橋事件に日中戦争勃発と
日本に軍靴の足音がまさに迫り来る暗い世相の時代でした。





永山さんのお父様は、満州鉄道の社員だったそうです。
終戦と同時に中国人になりすまして各地を転々とし、昭和23年に日本に復員してこられたそうです。
大変なご苦労をなされたのかもしれません。
お父様のことはあまり多く語ってくださいませんでした。

満鉄といえば、あの直立不動の侍のような歌手、東海林太郎がこの時期社員だったはずです。
もしかすると永山さんやお父様と接触があったかもしれません!?
偶然にもリスナーから東海林太郎の曲のリクエストもあり、
「赤城の子守唄」「国境の町」を流しました。





永山さんは昭和16年、太平洋戦争勃発の年に、満州から引き揚げてこられたそうです。
満州にもし残っていれば、今頃命はなかったかもしれません。

そして昭和17年、三股国民学校(現在の三股小学校)に入学されました。

三股小学校の校庭を畑にして甘藷を栽培し、皆で食べた話。
立ったまま食べて、軍隊上がりの先生にビンタされた話などをとても楽しそうに語ってくださいました。

こういった60歳以上の方々と話をさせていただいていつも思うこと。
子供時代の思い出話を語るときの目の輝きには驚かされます。
魂が少年時代にタイムスリップしているのです。



現代にはモンスターペアレントという言葉があります。
果たすべき責任を果たさず、学校に己の権利ばかり主張する保護者のことです。

そしてこの当時は、学校の教師の体罰は多くは愛のムチとして受け止められていました。
学校の教師や、または警察官、船員や車掌など制服を着た職業は
所謂「年上の職業」と呼ばれていました。
そんな有無を言わさず尊敬を受ける職業の人達がいたことが、永山さんのお話から伺えました。

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以下は、昭和23年頃の三股中学校の校歌です。
今では歌われておらず、永山さんから受け継がないと消滅してしまうかも?
そんな貴重な校歌を、この番組で歌ってくださいました。

ご興味のある方は、0986-51-2508、世界のチョコレートidentityまでお問い合わせください。
永山さんの歌声を録音してCDに焼いて、保管しております。

また、戦後間もない三股は野球が盛んだったらしく、石に布を巻きつけ、木材でバットを作ったお話
甘藷を半分に切って1/2,四等分して1/4,そのふたつを合わせて3/4になるといった、
甘藷を使用した分数の授業のお話など、やはり少年時代の輝きを持って語ってくださいました。





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この日の曲リストです。

1:朝はどこから s21 岡本敦郎
2:隣組 s15
3:あこがれの郵便馬車 s27 岡本敦郎
4:君がすべてさ s43
5:贈る言葉   s54 海援隊
6:赤城の子守唄 s9 東海林太郎
7:国境の町    s9 東海林太郎
8:パイナップルプリンセス s35 田代みどり
9:フィーリング  s52  山本潤子
10:卒業写真  s50  山本潤子
11:4つのお願い   s45  ちあきなおみ
12:ああ来年も来ておくれ s37 北原謙二
13:北上夜曲    s15 多摩幸子 和田弘とマヒナスターズ
14:満州娘     s13   服部富子
15:満州想えば   s11  音丸

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諸県地域の人口のおそらく3割以上を60歳以上の方々が占めると思いますが、
そういった方々を対象にしたビジネスは数多く存在するもの
昭和歌謡に関するエンターテイメントというくくりでは、もしかすると皆無に近いのでは?
なぜ???といつも思っています。だからこそ、チャンスであるわけです。

ということでますます精力的に番組作りに励もうと思っています!

4月17日のゲストは、都城市の中郷のクボタ理容店のおかみさんとご友人。
子供時代、畑仕事をする母に教えてもらった「数え歌、一かけ二かけ」の思い出など語っていただきます。
一かけ二かけ とは西郷隆盛を歌った明治時代の歌です。
クオリティ無茶苦茶高い曲なんですが、時代の波に埋もれ忘れられている歌です。
なので、ここで掘り起こしてバーン!と電波に載せて諸県地域へ発信したいと思っています。

クボタさん、その友人の馬渡さんは僕の店に来てくださったお客様なのですが
この歌の歌詞のコピーや昭和歌謡曲に涙を流さんばかりに喜んで下さり
ご出演依頼に至ったわけです。
当日はやはり、昭和初期の少女の輝きにタイムスリップしていただきたいと思っています。
また、三波春夫の浪曲歌謡、俵星玄蕃を馬渡さんにセリフ入りで歌っていただく予定です。

これからも目指すは、60歳以上を対象とした良質且つ上質な昭和歌謡エンターテイメントですね。
昭和歌謡にのせて、昭和の思い出を皆で思い出し共有して、感動し、喜んでくださるような。
というわけで頑張ろうと思ってます。

投稿日時:2013.04.06() 21:33:00|投稿者:matsuyamay コメント(70)
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