上野駅から九段まで

かってしらない じれったさ
杖を頼りに 一日がかり
せがれきたぞや 会いに来た

あまりにも有名な昭和14年・九段の母ですが、この歌はおそらく日清・日露または日中戦争によって戦死し
靖国に祀られた息子に会いに、東北あたりから汽車に乗ってやってきた母親の物語だと思います。

この歌があまりにも好きで、歌が描く物語を実体験しようと
実は僕も上野駅から靖国まで、実際に歩いてみたことがあります。
おそらく歩くも苦労する腰の曲がった母親が、杖を頼りに、道行く人々に聞きながら、まだ舗装されていないであろう
昭和10年代の不案内な道を、丸一日かかって上野駅から、かの神社へ辿り着くわけです。

今の時代はGOOGLE MAPで簡単に道順を調べることができます。
西郷さんの銅像や不忍池を横目に見ながら真っすぐ、そして秋葉原を通りすぎ、途中で右折
古本の町・神田神保町を通りすぎ、しばらく行けばもうそこは靖国です。
途中でドトールに寄ったのですが笑、僕の足では一時間半でした。
距離にして4km強。

空をつくよな 大鳥居 こんな立派な お社に
神と祀られ もったいなさよ 母は泣けます 嬉しさに

最初に見えてくる大鳥居は確かに大きい、しかしながら現代の高層ビルディングを通り抜けながらの
一時間半の小旅行のエンディング光景としては、空をつくようにはとても見えない・・・・
しかし、昭和10年代当時では、お年を召した母親には、さぞかし空に届くような高さに見えたのでしょう。
母は泣けます 嬉しさに とありますが
やはり当時の戦時感情は、息子に先立たれてさえもこのような思想を強いる
有無を言わさない空気が当たり前だったのだろうと推測され、胸が痛みますね。

故美空ひばり氏が、父親が太平洋戦争に招集されてその出陣式の時に
リンゴ箱の上に立って九段の母を歌ったのがおそらく8歳か9歳のころ
彼女の子供のころの歌声を聴くと、上手さはもちろんですが
声の中にある哀愁、ものがなしさに心を奪われますが、
こういった子供のころの原体験が
あの情感・そして超絶技法的歌声の礎になってるのではないかと勝手に思っております。
番組放送中に、子供のころの美空ひばり氏の歌を流すと、いつもそう感じます。

さて、この歌の3番ですが

両手合わせて ひざまづき 拝むはずみのお念仏
ハッと気づいて うろたえました 倅許せよ 田舎者

この情景を思い描くと、当時もしかすると学も無かったかもしれないこの老いた田舎の母親の
しかし、学歴ではない真のインテリジェンスのようなものを感じるのです。
つまりは、神となった息子へ、仏であること前提の念仏は的外れとなるわけですね。
倅許せよ と謝る母親があまりにも不憫でなりません・・・

おそらくは、九段の母のような母親が当時沢山いて、歌のモデルになったのだろうと思うのですが
母親の亡き息子への未練や寂しさ、怒り、慟哭、そして諦観、そんな感情が歌の端々に感じられて
ものすごくウエットで情感にあふれた名曲であり、もっと番組で紹介したいなと思っております。
しかし、本当に番組中に時間がない・・・・・・


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さて、現在8月14日の深夜、終戦記念日が目前ですね
次回の僕の番組ではすでにほかのテーマとゲストが決まっており
終戦にちなんだ話題も少しはどこかで・・・・と思いながらこの文章を書いております。

同期の桜 も同じくあまりにも有名ですが
5番の歌詞にこんなくだりがあります。

離れ離れに散ろうとも 花の都の・・・ 春の梢に 咲いて会おう

つまりは、離れ離れになって命がなくなっても
かの神社の同じ桜の花に生まれ変わって会おう

という意味ですね。時空を超えた果てしないロマンが
込められているんですね。思わず言葉に酔ってしまいそうです。
番組を担当させていただき5年が過ぎましたが、こういった数々の曲に
出会えたことは、かけがえのない財産です。
というのが、精神の安定度という点では5年前と今とでは段違いなんですね。
それは、昭和歌謡によってもたらされた心の平定だと思っております。

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昭和時代は63年間あり、昭和歌謡といってもカテゴリは無数にあります。
僕の勝手な感覚で大きく分けると、ビートルズの来日あたりから、楽器の音に頼った曲が増え
阿久悠プロデュ-スの沢田研二・ピンクレディの出現あたりから
歌声にプラスして衣装や振り付けの、テレビを意識したショー的要素が増えた。
僕の個人的趣向を申しますと、昭和20~30年代の、歌詞の日本語に徹底的に拘り
歌声で勝負していた昭和歌謡が好きです。
それも戦前の歌なども大好きです。
例えば、「惜別の唄」

別れ、じゃないですよ、惜別です
旅行ファッション、じゃない、旅の衣を整えよ です。
この歌も太平洋戦争中に作られた歌だと思いますが、中央大学の学生歌のようです。
奥の細道的要素、古人も多く旅に死せるあり、ですね
命をかけた旅、つまり戦地に赴く学友を歌った歌のようですが
こういった、生死が隣り合わせの心境で作られた作品にはとてつもない凄みがあります。
そういったまとわりつく壮絶さというものが垣間見える曲に虜になってしまった5年間でした。

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次の放送、8月17日は、21日のMJホールで行われるお雪物語の
関係者の方々がお越しになり、いろんな制作裏話などもOAできればと思っています。
番組を通していろんな分野の方々と仲良くなれ、いろんなものを創り上げていく
大変幸せだと思っています。
そして間もなく8月15日に日付が変わろうとしております。
あらめて、戦争にまつわる様々な方々へ心から追悼の意を表したいと思います。

ではここらで。

投稿日時:2016.08.14() 23:57:23|投稿者:matsuyamay