届かぬ便り ~慟哭~ 生き別れの娘へ捧げる歌

この春、ある曲が都城より発売されました。
都城市久保原町ご在住の神田橋貞夫さんの実人生をもとにした
「届かぬ便り」という楽曲です。

神田橋さんは、昭和歌謡玉手箱に何度もゲストで来て下さり
鶴田浩二・青木光一・東海林太郎各氏の名曲を歌っていただき
昭和の思い出話を語ってくださいました。
某歌謡選手権では宮崎県代表として全国大会にも出場
歌の実力も玄人はだしのお方です。

僕がこの歌を記事にしたい理由は多数ありますが
歌の命が短くあまりにもインスタントに消費され続けてしまっている昨今
20年以上の想い・逡巡・苦悩そしてかすかな希望が詰まった
「届かぬ便り」はまさに「昭和歌謡」であると思ったからであります。



歌がつくられた背景をかいつまんで述べてみますと
神田橋工業(株)を経営し、日本を代表する企業や行政を取引先に持ち
特許の件数は110件以上、数々の受賞歴・パチンコ店も経営し
三人の子宝に恵まれた順風満帆の経営者へ
突如、事業の失敗と離婚という逆境が襲い掛かります。
そして、娘さんたちと生き別れになりはや20年

別れた娘さんお孫さんに再会したいという想いは年々募っていらっしゃいます・・・

しかしながら、興信所やそのたぐいを利用しての強引な再会は彼の望むところではありません。
誤解がもとで心まで離れてしまった娘さんたちに、歌を通じて想いを届けたい・・・

当事者でしかわからないナイーブな心理模様までは僕には窺い知ることはできません。
ただ僭越ながら、この話を伺った時にひとつの昭和歌謡が僕の頭を掠めました。

「あゝモンテンルパの夜は更けて」 昭和27年 渡辺はま子

戦後、フィリピンにて戦犯として絶望の収容所生活を送っていた日本人たち
当時の大統領の特赦による戦犯釈放という奇跡を引き出したのは、この歌なのだそうです。

余りにも陳腐で恐縮ですが、歌は時間を空間を距離を人種を国境を
そして
人の心のわだかまりも溶かしてくれる、
歌の力とはすごいものである

もう逢えないかもしれない娘さんへの想いを歌で届けたい
そんな究極のロマンチシズムな神田橋貞夫さんの想いに感銘を受けました
そしてこの「届かぬ便り」がいつの間にかひとり歩きして
娘さんやお孫さんの耳元でメロディを奏でて欲しい 。

齢80を超えた神田橋貞夫さんがまだまだお元気であるうちに
お互いの心が繋がってせめて何かしらの音信だけでも
願わくば再会が実現することを願っております。








以下、作詞者の神田橋貞夫さんから娘さんたちへのメッセージです

娘よ孫たちよ あれから20年 変わりはないでしょうか
あの頃を寂しく懐かしく想い出します
あのことがあって、再会も叶わず 便りもぷっつりと途切れてしまいました
めまぐるしく変わる日々の中戸惑いながら生きてきました

私の想いがうまく伝わらずに
娘たちは心まで離れてしまった
別れの言葉も言えず 寂しさだけが募ります
街で似たひととすれ違い 歩み寄り
他人の空似で立ちすくむ 
そんな日々もありました

私も年輪を重ねて時間もなく
逢いたい逢いたいという想いを 心のポケットにしまい込み
この便りはもう届かないのでしょうか




投稿日時:2015.05.09(Sat) 14:53:12|投稿者:matsuyamay