パーソナリティブログ

歌がなくなった 命が軽くなった

大津の中学校のいじめ事件が世間を騒がせています。
日本中の多くの人が驚き悲しみ怒っています。

昭和歌謡曲の番組を1年間担当した程度の若輩者が
世相を偉そうに語るのも甚だ僭越ではありますが
公憤、義憤に駆られて、ということでお許しいただきたいと思います。

僕が子供の頃、30年以上前はまだ日本人皆の共通の歌があったと思います。
そして、歌や漫画やテレビには勧善懲悪の正義の味方がたくさんいました。

♪どこの誰だか知らないけれど月光仮面のおじさんは正義の味方だ良い人だ♪
大人は正義に基づいた判断基準と価値観を持ってるものだと思っていました。

残念ですが、大津の亡くなった少年は最後まで
大人の正義の味方に出会うことができなかったわけです。

僕のいる昭和カフェには、地域の小学生中学生がたくさん訪れます。
彼ら彼女らのランドセルや学生服を身に付けない時の歌や遊びを
仕事を通じて何年も間近でずっと見てきました。

日記に
「今日は□△(ゲーム名)ゲームで人をいっぱい殺しまくりました。
血がいっぱい出ました。」
「○×(ゲーム名)でモンスターを殺しまくりました」
といったことを無邪気に書く小学生もいます。

公園で中学生の集団が1人にリンチをする事件が全国で頻発しています。
ある子供に聞くと、とある人気ゲームにそんなシーンがあるそうです。

子供たちが聴く歌謡曲では、
集団の娘さんたちが刺激のある映像満載の歌を歌っています。
そこにはリビドーを刺激することにより金を吐き出させることと
大した芸が無くても多少見てくれが良ければ有名になれ金儲けができるかもしれない
という危険で間違った思想を子供に植え付けているだけにしか思えません。

日本一の経営者、稲盛和夫氏と
大作家五木寛之氏の対談をヒントに、
こうも命が軽くなってしまい、簡単に人が死に、殺すようになったことと
歌との関係について所感を述べてみたいと思います。

おしぼりを例にとってみればわかりやすいのですが
水分を含んだものは重いが、乾いたものは軽い。
日本人は年間3万人以上が自ら命を絶っていますが
簡単に自殺してしまうということは同時に他人の命も軽い。

僕の子供の頃、演歌や悲しみ哀しみ苦しみ情熱努力といった
水分を含む歌が若者に軽んじられ、敬遠され、笑いものになっていました。
日本が一番景気がよかった頃です。
楽しい明るい歌でなければならないといった空気が充満していました。

高度経済成長以後、そういった日本人が放り出してきた
悲しむこと、泣くことといった水分を含むそんなものを
まさに再検討しなければならない時代になったと思います。

あらゆる面で、ドライで割り切った乾式の社会で今の子供は育っており
僕らの年代の大人もそういった水分を排除したところで育ってきました。
平成24年に発売される歌を聴いてみても実に乾いた耳心地のものが多い。
日本人の心がカラカラに乾ききって荒廃している。

五木寛之氏は、童謡・夕焼け小焼け、
あっちに灯がともって家族が待っている
さあ、みんなでそこに帰りましょう という歌を繰り返し歌ってきた。
実に暖かい響きであり、それを知らない子供たちも実に増えた。

童謡・かなりや、青い山脈、さくら貝の歌しかり。

喜びも悲しみも幾年月 でこんなに優しい親が、
大人がいるのかと子供心に感動し、
そして自分もそういった大人になろうと思い
彼は育ってきたわけです。

ところが今、日本人皆が歌える歌はどこにもない
どころか極めて趣味の悪い歌ばかり発売されている。
心に情を注ぐオアシスの水としての音楽、歌が日本に必要だということです。
実に迂遠な話のように思われるかもしれませんが
経済界で、文筆界で功なり名を遂げたおふたりが仰っているわけです。

大津の少年は、昭和歌謡曲の中にいるような大人に出会うこともなく
そして心を救ってくれるような歌に出会うこともできなかったのだろうと思います。

呼ばずとも何故か店に小中学生が押しかける環境の僕にとって
人ごととは思えず、
そしてこうして書かずにはいられない憤りが充満しています。

ゲームや暴力悪趣味肯定漫画や悪趣味な歌が
実に現代の若者の心を荒廃させてしまっています。

歌謡曲や演歌は恥ずかしい、カッコ悪いものだと軽蔑される流れの中で
歌のない時代になり、アフガンの荒野のように国民の心が乾ききって
情緒情操の根本と地軸が狂ってしまったと思います。

正々堂々とした喧嘩ができずに陰湿ないじめを集団で行う。
強いものに媚びへつらい、弱いものに攻撃する子供ばかり。
それを恥ずかしいことと思わない。
授業崩壊しても、体罰だということで教師は何も出来ない。
目の前の子供に異常があっても事勿れ主義を貫く大人。
狂ってるとしか思えません。

今は、それぞれの大人がそれぞれの守備範囲の中で日本を
甦えらせることを行わなければならないと思いますし
僕も自分にできること、つまり今の仕事を精一杯して行くだけです。

投稿日時:2012.07.08(Sun) 21:32:33|投稿者:matsuyamay コメント(20)

27JUN2012 昭和歌謡玉手箱

2011年の7月5日よりこの番組を担当させていただき
まもなく1年が経とうとしています。

番組を作ってくださった前田プロデューサーを始め、
友人のH氏その他数多くの方々に支えられて、
ここまでやってこれました。
一人の力というのは本当に小さく弱いもので
今は、力を貸してくださった周囲の方々への感謝の念で一杯です。
今後ますます、良い番組作りに情熱を燃やし精進したいと思っています。

さて、今回の曲リストはこちら!
1:ホームランブギ s24 笠置シズ子
2:悲しき口笛  s24 美空ひばり
3:すみだ川 s12 東海林太郎・田中絹代
4:すみだ川 s12 由紀さおり
5:街のサンドイッチマン s28 鶴田浩二
6:旅笠道中 s10 東海林太郎
7:旅姿三人男 s13 美空ひばり
8:名月赤城山 s14 東海林太郎
9:赤城の子守唄 s9 東海林太郎
10:おいらの家まで s54 長渕剛
11:君は雨の日に  長渕剛
12:野崎小唄 s10 東海林太郎


昭和カフェの東海林太郎のレコード
ロイドメガネに燕尾服、直立不動
常に真剣勝負の歌うサムライのような方でした




昭和カフェにある古いレコードプレーヤーです。
そういえばあまり掃除してないな(汗)


リスナーのKさんから、東海林太郎と田中絹代について
曲とエピソードを聞きたいとリクエストをいただき、
今回の番組は東海林太郎特集を組みました。

この番組でこだわる昭和歌謡曲、
特に戦前や戦後まもない名曲の特徴は
文学的表現に溢れた詞と、曲を卓越した歌唱力で勝負する世界でした。
それが、GSブーム以降は、凝った衣装や舞台装置で勝負したり
エレキサウンドに頼った音響効果や欧米の感性に影響された
歌詞の曲などが大衆の支持を得るようになりました。

時代の流れですね。

特に昭和30年代までの流行歌に最も多く使われた
「涙」「義理」「人情」
といった水分を含むウエットなフレーズは
現在の音楽シーンからは殆ど姿を消しています。

リスナーのKさんは80代になられてもますますお元気ですが
こういった戦前生まれのお元気な方々に喜んでいただける
歌謡番組というものもメディアからほとんど姿を消しつつあります。

これからの超高齢化社会において、そういった世代の方々の
琴線に触れるような番組はもっと必要であると思います。
ゲームセンターやショッピングセンターで所在無さげに
佇む高齢者の方々の姿が話題になっていますが
娯楽に飢えた高齢者の方々が増えています。
これは問題ですよ・・・・・・・・・

さて、この番組では戦前戦後の曲のリクエストや
ゲストとしてご出演くださる方を募集しております。
輝いていた昭和の思い出話を聞かせてください。
台本作りますからご出演もラックラク♪ですよ。

世界のチョコレートidentity&昭和カフェまでお越しください。
ドアを開けたらこんな光景が。



今年から夏も世界のチョコレートを扱うようになりました。
現在75種類の世界のチョコ&お菓子が並んでいます。
100円で3個買える世界のチョコが人気です。
(キャッ安~い♥)


曲のリクエストやゲストご出演のお問い合わせ
0986-51-2508 までお待ちしております。


来週はリクエストをいただいております
田端義夫・岡晴夫の曲を中心に流してまいります。



あとがき
今日は、コブクロの大ファンで、彼らの曲をギターで歌う
21歳のM君が昭和カフェに来ました。
M君は未来のスーパースターだそうです。
番組ゲストに出てひばりの曲を歌いたいそうです。
ここのブログや僕の写真を見せたら何故か爆笑されてしまいました。
(何がおかしいのか?)
彼が持ってるコブクロのDVDの歌詞ブックを読みましたが、
平成の今の曲には珍しく漢字が多く文学的表現が多く使われています。

戦前生まれの方々も勿論ですが、M君のような若者にも
戦前の曲の良さを知らしめたいなという野望を持っています。

M君へ。ここ見てたら、コブクロもいいけど、戦前の曲も聞いてみるように!

投稿日時:2012.06.29(Fri) 21:45:16|投稿者:matsuyamay コメント(21)

美空ひばりさん命日 6月24日

歌は世につれ、世は歌につれと言いますが
美空ひばり(以後敬称略)の最初のヒット曲、
「悲しき口笛(S24年)」の歌詞を読むと、
当時の敗戦直後の日本人の心情を
実によく捉えてるような気がします。

歌謡評論家の大御所、故平岡正明氏や
その他先輩方の著書が僕にとって非常に面白く、
それらをヒントに、
ひばりについて思うところを書いてみます。

悲しき口笛の歌詞より

♪丘のホテルの赤い灯も♪
丘のホテル は戦勝国アメリカの象徴だと思います。

♪節も悲しい口笛が恋の街角 路地の細道 ながれゆく♪
路地の細道で悲しい口笛を吹きながら消えてゆくのは
敗北者、つまりひばりから見た周囲の大人だと思います。

感性鋭い少女は、父や兄や周囲の大人たちの
敗北感、悲しみを直感で感じ取って
それが彼女の歌の特徴、
ペーソス溢れる歌声になったのではと思うのです。

ひばりは笠置シズ子の模倣から世に出たと思いますが
笠置シズ子は、
勝利者アメリカの音楽ブギウギを歌った
底抜けの陽気が特徴です。
彼女の歌は今聴いても非常にクオリティ高い曲ばかりですが
どこか勝利者への阿りを当時の日本人が感じても仕方がなかったと思います。

その無意識?の大衆の反発が、模倣=揶揄という役割をひばりにさせ
そしてついには笠置シズ子をはるかに凌駕する支持を
ひばりに与えたように思うのです。

高峰秀子の 銀座カンカン娘 も
当時の心ある人たちがカンカンに怒ったと言われる曲ですが、
コロニアルソング的響きが街頭に流れる度に
敗北感と悔しさに包まれた人たちには

ひばりの曲の根底に流れる哀愁感が一番マッチしたのだと推測します。

美空ひばりの偉大さや凄さについてはあまりにも多く語られすぎており
ここで僕ごときが書いたところで・・・・・
陳腐の極みであると思うのですが・・・・
あえて自己満というくくりで書かせていただきます。

24年前、彼女が亡くなった時のTV映像で、
同年代とみられる女性たちが棺にすがって
泣きながら「ありがとう」と絶叫していたのが
今でも強烈に僕の脳裏に焼きついております。

神様がもしいるとすれば、
戦後、全て失った日本人を歌声で救うために世に遣わされた人だと思うし
いないとしても、
日本人という民族の数十年の感情の蓄積の噴出が彼女であり
仕事=歌うこと 
でたくさんの日本人の人生を励まし勇気づけた
本物のプロフェッショナル・戦後最高峰の仕事人が
美空ひばりであるわけです。

僕も常に仕事においてはプロフェッショナルを「目指して」おりますが
美空ひばりについて仕事人の観点から見れば見るほど
その才能に、ストイックさに、努力に根性に敬服してしまうのです。

彼女の最後のステージは1989年、
平成元年の福岡の小倉での公演でしたが
病状の悪化により数センチの段差も一人では乗り越えることは出来ず
車や新幹線での移動にも耐えられずヘリコプターでの移動
楽屋には酸素吸入機と医師が控え、
その状態でステージに上がると
そのまま死に至るリスクも十分にあったそうです。

通常、こんな状態ではステージは当然キャンセルだと思います。
それに下世話な話ですが彼女はお金は十分持ってるわけで
金のためにステージに上がる理由もない。
それなのに、文字通り寿命を縮めてステージに上がったわけです。

故人となられた今では、そのときの心境も伺うことはできませんが
そこまで体が辛く苦しいのに、彼女をステージに駆り立てたもの 
それは 使命感 だったのではないかと思います。

ひばりの歌で助けられた人、
ひばりの曲があったから頑張れた日本人はあまりにもたくさんいて
そして1回のステージで多くの人の人生を力づけることができる。
観客のそんなエモーショナルなものを全身で感じながら
毎回毎回歌っていたのだと思うのです。

仕事人にとってこんなに素晴らしく嬉しいことはないと思います。

仕事というのは、社会貢献であり、
人々に何か良いものをもたらすことであり
その貢献度や労働や汗の対価としてお金をもらえるのだと思います。

つまりお金が給料が沢山欲しければ
それに見合った社会貢献ができる能力を
頑張って身に付ければいいことだと思うのです。
しかしそんな努力もせずに
臆面もなく金ばかり欲しがる日本人があまりにも増えた。

美空ひばりほどのクオリティの高い仕事は一生かけてもできませんが
仕事=社会に人々に良い何かをもたらす 
ことを追求している僕には
美空ひばりは一生かけて少しでも近づくための努力目標であるわけです。

戦後の焦土から現れ、昭和が終わると共に死去されたことは
あまりにも象徴的だと思うのですが
それにしても昭和が終わり24年たった今、
日本という国は本当に堕落してしまったと思います。

お金を得るために、対価としての労働や汗や貢献をせずに
国に、人に、嘘や詐欺行為や犯罪行為を行なって
お金を得ようとする人があまりにも増えました。

ラクして稼ぐ、働かずに金を得る、
そういった価値観が多くの人の主流となり
そういった手腕に優れた人物が持て囃されがちであります。
もちろんそういった輩が長く続くことはないのは世の常ですが
そんな現状はあまりにも愚かで情けない。

恥を知れ という言葉がありますが
恥の文化・概念というのは日本人が昔から持っていた美徳であり
諸外国から憧れ敬服されたものであると思いますが
そんなものが消し飛んで逆に笑いものになってしまった。

美空ひばりが、または日本人の美徳を歌った
多くの昭和の名歌手たちが
草葉の陰から今の日本を見ていたとしたら、
まず間違いなく嘆いてるだろうと思いながら
しめくくらせていただきます。

投稿日時:2012.06.24(Sun) 20:27:39|投稿者:matsuyamay コメント(7)

13JUN 2012 昭和歌謡玉手箱

最近は備忘録的活用の仕方もあるのだなと思いつつ
ブログを書いております。
こんにちは。昭和歌謡研究家の松山です。

昭和の憧れの職業といえば、何を思い浮かべますか?
プロ野球、芸能人、学者、パイロット、etc
そして、船員・マドロスもそんな昭和の憧れの職業の一つでした。
まだ旅客機での海外渡航が一般的ではなかった時代、
船員・マドロスといえばまだ見ぬ外国のシンボルでもありました。
波止場、霧笛、海、酒場、喧嘩、女、を題材にした
マドロス歌謡というジャンルが昭和歌謡の中にあったのです。

今回は、マドロスとして世界の七つの海を駆け巡り
北朝鮮とロシア以外は全て寄港したという、
三股町ご在住の木下一義さんをゲストにお迎えしました。

写真はヨーロッパの油田に寄港したときのもの



こちらはアメリカ東海岸にて



木下さんは一等機関士として、
30万トンの石油タンカーのメカニカルな部分の
メンテナンス管理などの責任者でした。



30万トンの石油タンカーといえば400m x 80m のサイズです。
(デカッ!!!)
野球の試合ができますな。
タンカーは長崎の三菱造船所にて建造されたそうです。


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木下さんのゲストトークに合わせて、今回はマドロス歌謡特集を組みました。

1:憧れのハワイ航路 s23 岡晴夫
2:口笛が聞こえる港町 s33 石原裕次郎
3:俺は待ってるぜ 石原裕次郎
4:港町十三番地 s32 美空ひばり
5:流転 s12 上原敏
6:妻恋道中 s12 上原敏
7:上海だより s13 上原敏
8:グッドナイトベイビー s43 キングトーンズ
9:肩で風切るマドロスさん 田端義夫
10:風は海から吹いてくる 赤木圭一郎
11 ひばりのマドロスさん 美空ひばり

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この写真、いいっすねー
当時はブルースリーブーム、
そして梶原一騎の空手バカ一代ブーム
沢村忠、芦原英幸、アントニオ猪木、ベニーユキーデ・・・
キラ星のごとく、格闘技のスターがいましたね!
木下さんは沖縄空手の2段の腕前です。
NO SMOKING と書かれた船のデッキでの練習風景。
(原油積んでるのでタバコ厳禁)

なんだか大山空手道場の雰囲気ですね。
(マニアックですみません)
木下さんは 地上最強のカラテ が封切られたときも
映画館に観に行かれたそうです。
映画の中で貫手で熱した砂を突くシーンがありました。
その真樹日佐夫さんと同じ練習を木下さんもしたそうです。
(マニアックですみません)

僕もウイリーウイリアムスの熊殺しや
大山総裁の牛殺しまではいかなくとも

野生動物に素手の真剣勝負で勝てるのか

映画の中に出てくるシーン
時速70kmで向かってくる自動車を飛び越えることができるか

10円玉を親指と人差し指でクニャッと折り曲げることができるようになれるか

など、超人を目指して真剣に考えていた少年時代がありました。
(変人ですみません、現在はもちろんそんなことは考えてません)


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木下さんは海賊にも遭われたそうです。
マラッカ海峡といえば、マレーシア・シンガポールのあるマレー半島と
インドネシアのあるジャワ島との間の海峡。
商船を狙った海賊が横行して話題になりましたね。

深夜、マラッカ海峡を航行中、闇に乗じて小さな船が
高速で石油タンカーに近づいてきました。
投げ縄を使い、スルスルとタンカーの甲板に登ってきたのはマレー人の少年。
木下さんが鍵をかけ忘れていたところ、部屋に侵入してきたそう。
大きな蛮刀を背負い、真っ黒に日焼けしてあどけない瞳の海賊少年は
金目もの、ラジオや電気シェーバーや現金2万円ほどを奪い、
闇の海へ去って行きました。
幸い木下さんに怪我はなかったそうです。何よりです。

日本の商船には海賊対策マニュアルというものが存在するそうです。
決して逆らわず、素直に金品を渡す。
海賊用に最低1万円は財布に用意しておく。など。

しかし、お国違えばなんとやらで
ロシアの船などは海賊が来たら逆に襲い掛かって海賊を海に斬り捨てることもあるそう。
やられたらやり返せの精神のロシア船には海賊も滅多に近づかないそうです。
おそロシア・・・・・・・

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高度経済成長時代のオイルビジネスですから、とにかく儲かったそうです。

日本→マラッカ海峡→スエズ運河→サウジアラビア寄港
→アフリカ大陸ケープタウン希望峰通過→フランス・オランダロッテルダム寄港
→英国の北海油田→大西洋横断→アメリカNYC・フィラデルフィア寄港
→メキシコ油田→パナマ運河→インド洋→日本

上記は大まかな石油タンカーのルートです。
途中で2ケ月の休暇許可が取れたら、破格のサラリー手にして
現地解散、そして観光しながら帰国されたそうです。

そして、ヨーロッパとアメリカ以外の国は
とにかく物価が安かったということで
大変羽振り良く過ごすマドロスさんも多かったとか。
いい時代だったんですね。

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木下さんは現在、宮崎県警と連携して、
三股町の青少年の非行問題に取り組む会の
会長を務めてらっしゃいます。

世界各地を回って得た知識、見識、
そして胆力、そういった財産を
三股地域の青少年たちにぜひ伝えて欲しいものです。

木下さんの許可を得て若い頃の写真を。
モノクロでセピアな写真は昭和のよき時代を偲ばせてくれます。

投稿日時:2012.06.14(Thu) 22:38:34|投稿者:matsuyamay コメント(93)

06JUN 2012 昭和歌謡玉手箱

みなさんごきげんよう。
昭和歌謡妄想家と最近言われている松山です。

それはさておきさて、今回の曲リストはこちら!

1:紅い睡蓮 s15 李香蘭
2:蘇州夜曲 s15 霧島昇 渡辺はま子
3:シナの夜 s13 渡辺はま子
4:異国の丘 s24 竹山逸郎
5:異国の丘 s24 鶴田浩二
6:ファイト  s58  中島みゆき
7:今日までそして明日から 吉田拓郎
8:異邦人 s54 久保田早紀
9:サーカスの唄 s8 松平晃
10:新妻鏡 s15 霧島昇 二葉あき子
11:旅の夜風 s13 霧島昇 ミスコロンビア
12:熱砂の誓い s15 伊藤久男
13:南から南から s17 三原純子
14:愛国の花 s13 渡辺はま子

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この昭和歌謡玉手箱では皆様からのRQやご意見をお待ちしております。
三股町でこのような看板を見かけたら是非お立ち寄りください。
私、不肖・松山が一心不乱に寝食忘れて命削って(おおげさ?)
作成した手作り看板と手書きボードです!
フェルト生地の花のデコレーション!!イラスト!!!
40過ぎたオッサンのセンスとは思えないオトメチック笑なものを作りました!!!!
くれぐれも看板にイタズラはしないでね!!!!!

♫♫♫♫
中で仕事してますのでコーヒー片手にメッチャ古いレコードを聞きながら
メッセージや曲をリクエストしてくださいね。
コーヒーご注文の方には番組録音CDもプレゼントしますよ。
♫♫♫♫







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今年の10月からは世界のチョコレートも約100種類入ってきますよ。
1個30円から買えて、日本人の口にあったものばかりで
本当に美味しいので、ご自身に、誰かのプレゼントにいかがですか?
世界のチョコレート・アイデンティティ=愛伝呈々

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さて、昭和歌謡曲にまつわる話を。

「s24年発売・異国の丘」は、
シベリア抑留兵が厳寒のシベリア収容所で作り
極限状態の中、皆で歌い勇気づけ励ましあった曲です。

作家の五木寛之氏が「大河の一滴」で
終戦直後の朝鮮半島での体験を以下のように書いていました。
彼も朝鮮半島からの引揚者だったそうなのです。

「僕は二度と飢えた大人の顔は見たくない」

「旧ソ連兵や朝鮮兵が子供にくれた芋や餅を、
飢えた日本人の大人が力づくで子供から奪い去っていく」

「しかしそんな阿鼻叫喚の世界にも、約束を守り、
食べ物を分けてくれる日本人の大人もいた」

「地獄の中にも極楽はあった」


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おまけ
誰も興味がないでしょうが僕が番組で使用するQシートをお見せします。
字は下手ですが、きちんと書いたらキレイな字もかけます!
このように分刻みで曲とトークのスケジュールを組んで放送しているのです。
一番下の方に、06JUN2012 SKT と書いていますが、
SKT とは昭和歌謡玉手箱の略です。


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投稿日時:2012.06.08(Fri) 18:02:10|投稿者:matsuyamay コメント(21)
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