パーソナリティブログ

04APR 2012 昭和歌謡玉手箱

三股町の昭和歌謡研究家・松山慶彦です。
今日は今年初の完全オフ日にしようと考えてましたがあえなく断念。
開店前にエプロン着て、つるつる坊主の上にオシャレハット。
ハット気がついた。この柄ってルービックキューブみてーだな。




休まないのには理由があるのです。
今春から念願の世界のチョコレート卸業務に
本腰を入れることができるようになったのです。
都城近郊の道の駅・公共施設・温泉施設・パチンコ屋・デイサービス所などで
リボンとこのロゴのついたチョコレートやお菓子を見かけたらぜひぜひご贔屓にお願いいたします。
このロゴがチョコレートに愛を載せてプレゼントしていただく
シンボルになることを願って日々日夜頑張っているのです。
世界のチョコレートidentity=愛伝呈々

さて、昨日の昭和歌謡玉手箱のレポを。
オープニングは小唄勝太郎(女性)の「島の娘(S8年)」。
背筋がゾクゾクするほどの妖艶さ、情感・・・・
戦前の歌謡曲って、す、す、すげえ!
2曲目が森進一の歌う「島の娘」。
戦前と戦後の一世を風靡した名歌手の共演です。
他に、「涙の渡り鳥(S7年)」。「別れの夜汽車(s25年)」。






作曲家の佐々木俊一氏。戦前戦後の数々の名曲を生み出したヒットメーカー。
曲作りに一切の妥協を許さない職人だったそうです。
「島の娘」の作曲者。この昭和歌謡史に残る名曲・名唱を生み出したエピソードを番組で語りました。




昭和カフェに来てくださった南九州大学の林典生先生をパシャリ。
円広志氏のご親戚ということでエピソードを伺い録音。
円氏のwikipediaには
目が点になるようなエピソードが満載だった。

大阪の京橋でよくカツアゲにあっていた。奥さんに助けてもらっていた。
毎朝、ほしのあきのコスプレポスターにおはようのあいさつをしている。
チェジウと久しぶりに胸が熱くなるような恋がしたいというのが夢
住宅街をうろつき、洗濯物をみるのが趣味。などなど。

林先生に電話でこのことを話しましたら「彼は半分芸人ですからね」とおっしゃっていました。
後日、南九州大学の現状やこれからの展望について先生にインタビューを申込みたいと考えています。




リスナーさんからのRQ,鶴田浩二・舟木一夫・沢田研二・三波春夫・三沢あけみの曲をかけました。
個人的に好きな論語コーナーもいろいろ語らせていただきました。
この時代の曲って本当にクオリティ高いですよね!
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●番組では言えなかったこと●
たくさんあるのですが、数日後に書きます。


投稿日時:2012.04.05(Thu) 20:49:39|投稿者:matsuyamay コメント(33)

JAROに怒られるジャロ・・・・

鹿児島が拠点の雑誌、月刊LEAPさんから
世界のチョコレートと昭和カフェについて取材を受けました。
いや~僕に目をつけてくださるなんて、なんてありがたいことか・・・
ということで、ライターのIさんに
「シティFM都城の昭和歌謡玉手箱のことも書いてください」と頼んだら
Iさんに「取材の趣旨が違うんで・・」と断られましたが、気を使ってくださったのか
「FM局パーソナリティとしても活躍するオーナーが・・・」
とのフレーズを冒頭に入れてくださってました(笑)

しか~し!僕はまだ活躍はしてない!自他ともに認めるひよっこレベルである!
嘘、大げさ、まぎらわしいを管理するJAROさんから大げさと言われないかと心配で・・・
ということで、ご報告&申し開きのアップをします。












ライターのIさん、そしてカメラマンのUさん、本当にありがとうございました。感謝。

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●番組では言えないこと●

僕は率直に言ってブログが嫌いである。
では、何故ブログを書いているのか?その理由はのちに記す。

何故自分の一日の日記を不特定多数に向かって報告しなければならないのか?
何を食べた、何を買った、こんなことを考えたなど、いちいちブログに書いたところで
他人はそこまで一般人のブログ筆者に関心を持ってくれてはいない。
もちろん僕だってそうだ。
ここでの僕の昭和歌謡曲の論評を期待してる人などおそらく皆無だろう。

では、有名人やファンのたくさんいる芸能人ならブログを書く価値があるのか?
たしかにアクセスもコメントも膨大だろうし、アクセスの多さを利用した商売も可能だろう。
しかし庶民が手の届かない神秘性はスターであるが所以の必用不可欠要素ではないだろうか?
毎日何を食っただのどこに行っただの下世話な私生活をファンが知ることで憧れも夢もなくなるだろう。
親しみが出て等身大なら、それはもはやスターの対象ではない。

僕がここで意見を述べても、昭和歌謡曲の素晴らしさを書いても
おそらく何の反響もないかもしれないし効果もないかもしれない。
しかし、たった一人でも、
我が意を得たり、言いたいことが上手く表現できなかったがここを読んで喉のつっかえが取れたようだ
などという声が出てきたら、それは大変な喜びである。

そこまでの筆力と洞察力が僕にあるかと言えばない。
しかし、チャレンジするのは若者の特権であるし僕は何歳になっても心だけは若者でいたいと思う。
ということで、単なる愚挙で終わる可能性大であっても
少しでも昭和歌謡曲の素晴らしさ、そして番組を知ってもらうために
快挙目指して精進、チャレンジあるのみである。

投稿日時:2012.04.02(Mon) 21:25:02|投稿者:matsuyamay コメント(16)

28MAR 2012 昭和歌謡玉手箱

三股町在住・昭和歌謡研究家、松山慶彦です。
海老蔵のマネをして頭にオシャレメガネをのせました。
これで将来ボ、ボ、ボクにも海老蔵みたいにいいお嫁さんが来てくれるかも。。




今日はゲストがいません。
狭い密室の中、僕とミキサー田口さんの中年男二人で手を取り合って番組を作り上げました。




この写真は戦前の昭和歌謡曲が200曲以上詰まったレコードの表紙です。
レコード盤からPCにMP3音源取り込んでCDに焼き付けて放送しているのです。




ロイドめがねに燕尾服・東海林太郎です。この方の「国境の町(S9年)」をかけました。
リスナーさんのお父様が生前、戦前戦後間もない曲を老人ホームでテープで聞き
涙が止まらなくなったというエピソードを伺いました。
リスナーさんのお父様を偲んで、
他に「異国の丘(S23年)」「南洋航路(S15年)」などかけました。



ディックミネです。彼はとても大きかったそうです。
老人ホームへ歌の出前をしているリスナーさんのRQの
ディックミネと星玲子の「二人は若い(S11年)」「ゆかりの唄(S10年)」をかけました。
何が大きかったのか?
純情少年の僕にはよくわかりませんが人間の器が大きかったのではと思います。




他にリスナーさんのRQ,H2Oの想い出がいっぱい、テレサテンの曲をかけました。

戦前・戦後まもない昭和歌謡曲のレコード音源を多数揃えて皆様の
リクエストをお待ちしております。
TEL/FAX:0986-51-2508//51:コーヒー 25:にこにこ 08:おやつ
と覚えてください。 
【昭和カフェで コーヒー にこにこ おやつ】
今年の流行語大賞有力候補らしいです。
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●番組では言えなかった話●



戦前、戦後間もない昭和歌謡に僕がこだわるには理由がある。
当時は、日本人が皆同じ歌を知っていて口ずさめたらしい。
つまり歌を通じて子供大人お年寄りの心が一つであったということだと思う。

平成の今、日本人皆が知っていて共に歌える曲は無い。
つまり日本人には歌がないということだ。
社会のシステムが発達し、音楽のジャンルが細分化され、
瞬時に欲しい曲がダウンロード出来る現代では当然の現象だと思う。
しかし、ヒットチャート?を賑わす?曲はあまりにも幼稚で鑑賞に耐えられないし
ゴールデンタイムに垂れ流される中央の局が作成したTVバラエティ番組は低俗で下劣で目を覆う。

子供から大人まで世代を超えて皆が口ずさめる歌がない、
それが日本人の情の部分、心が乾ききっている一つの原因ではないかと思う。
だから、情という水分を注ぐ優れた音楽や文化が必要なのだと思う。

戦争もなく平和で食べ物も豊富なのに年間3万人が
自ら命を絶つ日本は、人々の心が内戦状態だ。
あまりにも心が殺伐として情緒が乾ききってしまっているということだろう。

日本人の美徳:義理人情、武士道、礼儀正しさ、勤勉さ、他者への慮り
などが詰め込まれたのが戦前戦後間もない時代の
昭和歌謡曲、股旅歌謡、浪曲歌謡、演歌などであり、
今の日本に必要とされているものが表現されているように思う。
そしてそれは、敗戦によってGHQから否定された日本人のアイデンティティである。
そして今、多くの日本人も自らのアイデンテイテイを否定している。
これはとても滑稽であるしとても悲劇的で愚かなことであると思う。
外国人が憧れ、クールジャパンと褒めてくれる部分を知ろうともせず
逆に古臭い、カッコ悪いと勘違いしてしまっているのだ。

僕にはまだ影響力も力もないが、しかし人心荒廃し殺伐とした現代に
少しでも潤いを注げるような仕事ができるようになりたい、
そのためにまずは昭和歌謡玉手箱に全力投球していくことだと思っています。

投稿日時:2012.03.30(Fri) 04:06:48|投稿者:matsuyamay コメント(19)

絶賛オンエア中♪(!?汗)


都城のまるさ住宅(株)の営業マン正入木祐介さんから
不動産情報誌の1コマ取材を受けました。
世界のチョコレートidentityの取材だったのですが
昭和歌謡玉手箱のことも書いて欲しいと頼んだら本当に書いてくださいました。
「絶賛!大人気!」と書いてくださいね。と冗談で頼んだら本当に
「絶賛オンエア中♪」と書いてくださいました。








番組認知度も実力も3流いや4流の僕ですが(涙)
いつかは本当に絶賛されるようガンバります。
正入木さんありがとう!
それにしても正入木さん、文章うまいなあ・・・・

まるさ住宅(株)
都城市吉尾町863
TEL:0986-38-4455
優秀な営業マンがおります。

投稿日時:2012.03.27(Tue) 18:35:49|投稿者:matsuyamay コメント(29)

21MAR 2012 昭和歌謡玉手箱

三股町在住の昭和歌謡研究家・松山慶彦です。
何はともあれ2回目のブログです。
僕が手にしてるのは今回のゲスト、都城チャレンジショップ生のお二人が
主催するイベントのチラシ。いやぁセンスグッドですね~
3月24日(土)11:00~オーバルパティオ横のチャレンジショップにて。
ユーカリさんのタイ古式マッサージ、みーさんの願いが成就するヘナアート。
その他スパイシー薬膳カレーにハニージンジャーティ50名無料振る舞いに
エトセトラの盛りだくさんのイベント。
そしてこのイベントはユーカリさんのチャレンジショプ卒業イベントでもある。

念のために。僕の胸に写っているのは心霊写真ではない。
Tシャツのデザインである。

.
.
.


写真がユーカリさんとミーさんである。
お2人はフェイスブックを営業ツールとして駆使する「ナウい」経営者だ。
放送直前まで番組出演告知をケータイで打ち込んでいた。

Q:僕は「チャレンジ・挑戦」ということが大好きです。
そして、お2人の「チャレンジ」は何でしたか?
僕のお2人への問いかけの答えは

A:【いろんなイベントに参加して、自分の店をチャレンジショップをPRして廻った】とのこと。

ぼんち市・口蹄疫復興祭り・神柱ピクニックetc
イベント参加と簡単にいってもこれはなかなか骨の折れる出来事である。
そうして人がたくさん集まる場所で一生懸命販売し接客し、そうして次に
お客様に自分の店に足を運んでいただく。ということでした。拍手!






放送前に、チャレンジショップに足を運んでみた。
実は僕の店、世界のチョコレートidentityもチャレンジショップ開業の年に
2号店アンテナショップとしてここに出店させていただいた経緯がある。

行政支援による市街地活性化と創業者の増加が目的の場所であることや
店を経営することにチャレンジする場所であることが一目でわかるような
看板があればベターだと思いました。
市民が「経営者の卵を応援してやろう!」と思い足を運びたくなるような。


ユーカリさんのタイ発マッサージのお店
カーテンの向こうの光景が気になりますね・・・・


みーさんのお店。ヘナアートSHOPチャパティ。
撮影時は中で生徒さんへ講習中でした。


4店舗のうち、2店舗が空きとなっていました。勿体無い・・・・
家賃が月額1万円、共益費5000円。たったこれだけで中心市街地に1年間店舗を出せる。
そして行政から経営のノウハウやイベント開催のお手伝いから運転資金の相談から
至れり尽くせりなのに。こんな美味しい話は世の中ないですよね。

人通りが少ないなら、ここを拠点にして外に出ればいい。リヤカー引いてもいいじゃないか。
チャレンジをする場所なんだしな。人の集まる場所に行ってチラシを配ってもいい。
またはここにPC持ち込んで大手ネットショッピングサイトで出品するのもいい。

若い挑戦者が少ないなら、早期退職した50代以上の資金にも時間にも余裕のある人
そして開業に興味のある方、たくさんいるんですよね。
そういった人たちが集まれば、きっとものすごく盛り上がるはず。
こんな素晴らしい条件なのに、空き店舗があるなんて。。。。






①昭和47年の小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」、平成24年の岩佐美咲の「瀬戸の花嫁」。
【昭和47年と平成24年、40年の時を経て新旧アイドル・歌の勝負】
と銘打って2曲OAしました。審査員はミキサー田口さんと今日のゲスト2人。
結果は・・・・・・・・・2:1で小柳ルミ子の勝ちでした。


②リスナーさんからのRQ、小柳ルミ子・石原裕次郎・西郷輝彦・
奥村チヨ・チューリップ・中島みゆきをかけました。


③僕のいる昭和カフェに来てくださったお客様、熊本県在住の山田裕一さん。
障害学生パートナーシップネットワークの代表である。
今回、南九州大学にて会議出席のため都城に。
活動内容をインタビュー。急増するうつ病や依存症の引き金となる
発達障害に立ち向かう団体だ。彼のインタビュー録音をOA。


④鶴岡雅義と東京ロマンチカの三代目メインボーカルの上原敏郎さんのインタビュー
そして彼の名曲「昔の男」をOA。


⑤陶芸家のトージローさんの論語コーナーを最後に。
論語って本当にいいですね。(水野晴郎風に)


●放送では言えなかった話●
40年前と現在のアイドルの歌の聴き比べなるものを行なってみた。
極めて世間からの注目度の低い公開対決であったが僕にはとても面白かった。
実は放送前から勝負は決まってると思っていた。あまりにも差が歴然であるからだ。
もちろん、これは歌手の個人的資質でもあるし、これだけで昭和の歌謡曲のほうがよかったと
決め付けるのは些か強引であるが、それにしてもここ最近の日本の歌の凋落ぶりは凄まじいと思う。

歌は世につれ、世は歌につれ、あまりにも言い古された言葉であるが
その時代の、国のレベルや雰囲気を知るには流行歌を聞くのが一番らしい。
流行歌に国民の意識やレベルがそのまま出るからだそうだ。

昭和の天才・阿久悠先生が生前語った言葉であるが
「昭和の歌謡曲と平成のJーPOPとの違いは映画とブログである」
映画=プロが作成したもの。情景がストーリーが頭に浮かぶもの。
ブログ=個人の日記帳、雑記帳である。

昭和歌謡曲は、作詞家・作曲家・歌い手が三位一体となって心血注ぎ
人を感動させたい、人生を応援したいといったエネルギーが詰まっているものだと思う。
平成のJーPOPは個人の気持ちや心の叫びをそのまま稚拙な表現で書き記したものだと思う。
2つに分類してしまうのも乱暴ではあるが、阿久悠先生の仰ることはそのようなことだと思う。

歌は演歌・縁歌・艶歌・援歌・塩歌(海の歌)
遠歌(故郷は遠くに有りて想う・歌うもの)などに分けられ
人々の心に潤いを与えてくれるものであると思う。
そういった優れた歌がなくなった、日本人の歌と言えるものが発売されなくなった昨今、
ますます昭和歌謡曲の存在が光ってくるものだと思うし、そうでなければならないと思っています。

投稿日時:2012.03.21(Wed) 21:40:09|投稿者:matsuyamay コメント(12)
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