パーソナリティブログ

体力も10代!?

こんにちは!祐太朗です!!

さて、番組でもお伝えしましたが、11月16日にえびの市から高崎まで自転車で駆け抜けました!
ホントです!!
走行距離、およそ40キロ
何年振りでしょう、自転車に乗るなんで!
父に自転車をかり、アンディさんに、僕と自転車を、えびの市まで運んでもらい、
正午過ぎにスタート。


途中、写真を撮ったり、交差点名や橋の名前、名所などをメモをとりながらの走行!

まー、えびのから小林に向かうのぼり坂がきつかった!

下り坂は、快適でしたが、車が多い多い!

小林市では、リスナーさんから差し入れもいただき、元気取り戻しました♪
ありがとうございました♪


ちなみに、都城市立美術館を最終目的地にしていましたが、暗くなり過ぎて達成できず!

結局、アンディさんに高崎まで迎えにきてもらいました!!

ちなみに次の日、筋肉痛は大丈夫でした!
跳んでも、走っても、踊っても、問題ナシ!


さてさて、高崎から美術館までの距離をいつ走るか・・・。
次は、寒さとの戦い! 

投稿日時:2016.11.24(Thu) 17:32:36|投稿者:arimitsu

原田時美 昭和平成歌物語 ~知られざる藤圭子さん~

今日の生放送当日、花菱警備保障会長の原田さんと会って第一声が
「原田会長!そのキャップかっこいいですね!どこで買ったんですか?いくらでしたか?」
といきなりファッションチェックをした僕はやはり性格が変わってるかもしれない。

さて、11月16日は、日本中で原田会長しか知らない藤圭子さんのエピソードと
「命預けます」のギター弾き語りをしていただきました。



昭和44年の「新宿の女」でのデビュー前の約一年間、藤圭子さんは
石坂まさを氏の自宅2階で下宿していたそうです。

盲目の三味線弾きの母と一緒に石坂氏の元を訪れ
最初に歌った曲が「カスバの女」だったと思う、と原田会長談。

昭和40年代当時の高度経済成長時代の下宿事情も話していただきました。
石坂氏の一軒家の2階は、障子で仕切られただけの3部屋。
そこに藤圭子さんが住んでいたそうです。
原田会長は、さすがに隣の部屋はまずい笑 ということで
一軒家の敷地隣の別棟に下宿したそうです。
トイレと水道は共同、食事は1階の台所で。
風呂はなし、ということは近くの銭湯に藤圭子さんも原田会長も行ってたそうです。

ある日、「銭湯いってくるねー」と藤圭子さんが原田会長へ。
しかし数分経って戻ってきた藤圭子さんに「どうしたの?」と聞くと
「途中で下着落としちゃったから帰ってきた」だったそうです。笑
誰か拾ったのか?値打ちものだから今からでも紛失届を出したいものです笑



「命預けます」は昭和45年発売の藤圭子さんの曲。
歌詞を紐解くとまさに藤圭子さんのデビューまでの境遇と心境を歌ったものです。
♪流れ流れて東京は、夜の新宿花園で やっと開いた花ひとつ♪
幼少期より門付で流れ流れ、そして東京へ辿り着いたんですね。
新宿花園、これは花園神社に「圭子の夢は夜開く」の歌碑があることからも
新宿花園が、デビュー出発点だったわけです。

♪こんな女でよかったら 命預けます♪
原田会長曰く、石坂氏は、藤圭子さんを自宅2階に下宿させるために
それまでいた原田さん他2名を追い出して笑、藤圭子さんを住まわせました。
つまり、下宿の収入源を断って、藤圭子さんに賭けたんだとか。
それに応えるように、歌に石坂氏に命を「預けます」と歌ったと、原田会長は語ってくださいました。

今の時代には聞かなくなった言葉ですね。命預けます。
濃い~~~~~ですね 情が
そこまで何かを犠牲にして命を賭けて
藤圭子さんは、石坂まさをさんはヒットを掴んだのでしょう。



上の写真は、僕の店の世界のチョコレートの一角にある昭和カフェの1コーナーです。
藤圭子さんの真っ黒な目と、若いころの和田さんのドヤ顔感、この真逆なコントラストが凄いですね!

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ラジオとは全く関係ないですが、最近、選挙カーで応援演説で叫んできました笑
下馬評では情勢厳しいと知っていましたが、たとえ敗れても、元気さでは、面白さでは負けない。
そういった意地というか戦う魂をマイクに乗せてみました。
そして敗れた直後、そして翌日の立候補者のAさんのいつもと変わらない明るい笑い声を聴き
「これが昭和男の侍魂」としかと胸に刻み込みました。
Aさんも原田会長も、昭和歌謡を通じてお付き合いをしていただき、
そして昭和の魂を感じることができて生まれてきてよかったなと思え、私は幸せです。
ではまた。

投稿日時:2016.11.16(Wed) 22:34:30|投稿者:matsuyamay

原田時美 昭和平成歌物語 ~石坂まさを氏と歌声喫茶と~

昭和29年ごろから始まった集団就職、
原田時美さんも都城から硬い木の椅子の列車に揺られ上京し一時は会社員でいたそうです。
地方から一人で友人も知り合いもいない大都会へ行き、
働く金の卵たちの寂しさを癒したのは歌声喫茶だったそうです。
まだカラオケもない時代、そんな若者たちが喫茶に集い、バンドの生演奏に合わせて全員で合唱する。
そんな空間で連帯感が生まれ出会いがあり、孤独を感じなくなる。
歌声喫茶が一世を風靡したのはごく自然なことだったように思います。

10月19日の放送では、歌声喫茶と出会いについて原田時美さんに語っていただきました。



写真は、遺影にも使われた、故石坂まさを氏です。
彼の奥様はまだご健在でいらっしゃいますが、石坂まさを氏と奥様を結びつけたのが原田時美さんだったそうです。

花菱エコーズでデビュー後、新宿有線でチャート一位を獲得するために新宿のスナックの営業廻り
そして歌声喫茶での生演奏など東奔西走されていた当時の昭和41年後ごろ
新宿の歌声喫茶「ともしび」にて、ある出会いがありました。
いつも柱の陰から見える同じ少女の顔がいつしか馴染みになり、ある日話しかけてみると、同郷の宮崎出身だったと!
意気投合し、石坂まさを氏にも紹介したそう。

それから原田時美氏は全国ツアーに回り、再会した半年後にはなんと!!!!!
石坂氏とその同郷の少女は夫婦となっていたそうなのです。
これには原田時美さんも驚き桃ノ木20世紀!←ピコ太郎かよ だったそうです。



写真は、宮崎に来県されたときの石坂まさを氏と原田時美さん。

なんでも、石坂氏は出会ったその日にプロポーズ、そして800円の指輪をプレゼントしたそう。
宮崎から上京した少女には、大都会で音楽プロデューサーと出会いその日のうちに電撃プロポーズで
婚約指輪までもらったわけですから、まるで映画のワンシーンのように思えたのでしょうか?
奥様は今でも、その800円の指輪を大事に持ってらっしゃるそうです。ええ話やー

800円という値段についてはちょっとコメントもしかねますが
気持ちがあれば祭りの屋台のおもちゃの指輪でもいいわけですしね!(と決めつける)
そういえば、話それますが、天城越えという映画で田中裕子扮する遊女にもらったマッチ箱を
後生大事に持ってた少年、人生の最後に手からそれがポロリと落ちたシーンを思い出しました。

当時まさに天下を取った石坂まさを氏と苦楽を共にした奥様と、原田さんはいろんな話をされたそうです。
大ヒットによって大金が入ってくるものの、当時の週刊誌にいろんなことを書かれたり
藤圭子さんの最期についても取材が殺到し、心身共に参ってしまい、
そんなことは放送では言えませんが、原田時美さんから伺いました。

ヒットを飛ばすだけの才覚を持つ男はやはり並の人間ではなく
山口百恵じゃないですが、人よりたくさん良い目にあって、人よりたくさん悲しんだ・・・と他人事でスミマセン・・・・



下の写真は、まだ公民館を回っていたころの島津亜矢さんの名刺です
音楽事務所も経営する原田時美さんのお仕事で出会ったそうです。




下は、宮崎の飫肥に、藤圭子さんと一緒に来県されたときのもの
原田時美さんの藤圭子さんへの思い出が込められている気がします




この日は放送では言えないような、藤圭子さんへの思い出なども
スタジオ控室で伺いましていろいろ考えさせられました・・・・
いろいろ思うところもありますがちょっとここにも書けないなー

明日、正確には本日の正午から、生放送で番組をお届けします。
今はその準備中であるんですが、楽しみなのは、
黒澤明とロスロスプリモスとの絡みなどを語っていただけるとのこと。

ロスプリモスといえば
ラービューラービューーなみだーのトーーキョー
ギンザ ギンザ ギンザ ギンザギンザギンザ たそがれーのギンザー 
って感じのムーディーなムード歌謡ですね!

他にもいろいろ世界のチョコレートのプレゼントや、みやこんじょ弁歌姫ふじこちゃんコーナー
その他コーナーはがき盛沢山でお届け予定です♪乞ご期待お楽しみに♪

投稿日時:2016.11.02(Wed) 00:15:20|投稿者:matsuyamay

原田時美 昭和平成歌物語 ~藤圭子~

2016年9月からの新コーナーは、花菱警備保障会長、
そしてムード歌謡全盛の昭和43年に花菱エコーズでデビュー、
西海ブルースなどの名曲を残した原田時美(花菱健)氏による
「原田時美 昭和平成歌物語」です。

第一回目の9月7日は、故藤圭子さんにまつわる思い出話
そしてギター爪弾き、新宿の女の生弾き語りをご披露くださいました。
藤圭子フェチ?かもしれない僕にとっては大変興味深い話でした。
原田さんは、集団就職で都城より上京、そして間もなく音楽のプロの道へ。
故石坂まさを氏に弟子入りし、同じ屋根の下で藤圭子さんとレッスンをしていた歴史があります。




♪ネオン暮らしの蝶々には 優しい言葉が染みたのよ♪
あまりにも有名な新宿の女の1フレーズです。
蝶々 つまり夜の蝶という言葉も今や死後でしょうか
まだ初心というか純な少女がなんとなく染まれない夜の世界で
おそらく客の優しい言葉にほろりとくるわけですね。

♪ネオン暮らしの蝶々には 財布の厚みが気になるの♪
というのがある意味デフォみたいなもんかなと思う昨今においては
なかなか衝撃的な響きもあるように思います笑
所謂、ワケアリでその世界に飛び込んできた、純な美少女 という設定なわけですね。

ところで、ヒット曲が生まれる背景には、作られたイメージというのもあるのかな?と思ったりします。
といいますのが、五木寛之氏が藤圭子人気全盛時、
プロデューサーの石坂まさを氏と
藤圭子氏をモデルにした小説を発表されていて
その中では、「作られた不幸」が描かれています。
ヒット曲のイメージを保守するため私生活は実は明るいんだけども、
あえて陰のある少女を演じていた というわけです。
(あくまでも小説の中では)

このことについて、原田時美さんに率直に伺ってみました。
「藤圭子さんのイメージって、地だったんですかね?」
デビュー前もデビュー後も藤圭子さんと間近で接してきた原田さんは、
「地だと思う」と仰いました。
少女時代に北海道を中心とした門付け生活を送り、子供が見なくてもよいものを
たくさん目撃したであろう藤圭子さんの歌声は、まさにルサンチマンのこもった怨歌であり
それがデビュー当時の若さと、人形のようなルックスに救われ、到底真似のできない輝きを放ったわけです。

石坂まさを氏は、藤圭子さんの歌声をあえて、レッスンでは手を加えなかったと原田さんは仰っています。
他者がどんなにレッスンをしても到底出せない、独特の藤圭子さんの歌声は、壮絶に魅力的であり
それは幼少期に目撃せざるを得なかったであろう、人の表裏や裏街道の哀しみと
生まれもった類稀なる才能とのコラボが生んだ賜物だということなんですかね。

ところで 優しい言葉が染みる蝶々 が昭和40年代当時はたくさんいらっしゃったんでしょうかね?
そこらもそのうち、原田さんに伺ってみたいと思います笑
財布の厚み は現実的で必要ではありますがやはり、そこには情緒を求めたいものですよねー
新宿の女 にはそういった、父性本能をビシバシ刺激するような、くらくらするような濃密な情緒がいっぱいに詰まっています。
五木寛之氏もそうなんでしょうが、当時藤圭子さんの虜になったファンは相当にいたでしょうね。

「昭和歌謡は本当にいいよね」という人たちが年々、増えてきておりブームの兆しが見えております。
原田時美さんとのコーナーを通じて、思うところをこれから少しづつ書いていこうと思ってます。
では今日はここらで~。

投稿日時:2016.10.05(Wed) 23:15:55|投稿者:matsuyamay

*山の日special mountain×2!!*

你好
みなさんこんにちは。

残暑お見舞い申し上げます

8月も気づいたらお盆が終わり半ばとなりましたね。

先日8月11日にお届けしました 山の日special mountain×2!!
お聴きいただけましたでしょうか?

番組では、山之口の里山へ山登りレポート&道の駅山之口のソフトクリームを紹介しました。 

   
まずは、青いだけの森ふれあい交流実行委員会の前田さん&水流さんの案内で
大カヤの木の森 ・ 天神ダム へ散策です。


ラジオでわぁあああああーー!!
おっきいぃぃいいいいいい!!!
って騒いでたのはこの大きな大きなカヤの木です。

昼間の暑い日だったんですけど、森の中は心なしか涼しかったです。
って言っても汗が滝のように流れてましたけど笑。。。。

そして、しばらーーーく歩いて歩いて歩いてーーーーー行くと、
じゃーーーーーん!!!!!
これが天神ダムです。 こんなところがあるなんて知りませんでした。
Blogに書くとあっという間なんですけど、森・藪・日差し・虫との戦いの中
散策でした。
でも、みやこんじょにこんなところがあるんだぁ!と取材しながらも収穫が
ありましたよ。

案内の2人はさすがです!!
次はもっと鍛えて挑戦します笑。。。
また、ぜひぜひ山之口の里山紹介よろしくお願いします!!



おのよしみ

投稿日時:2016.08.17(Wed) 14:45:53|投稿者:ono
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