魂を震わせる歌に出会った

番組ではあまり言わないようなことを書きたいと思う。

先日の昭和歌謡玉手箱、
前田プロデューサーとDJ黒木さんがご担当された日にゲスト出演され、
「異国の丘」「岸壁の母」を披露されたご夫妻がいる。
大先輩方の作る昭和歌謡玉手箱はさすが、格別にクオリテイ高く面白かった!

元学校教師であり歌も玄人はだしの小玉さんと奥様に出会えたのは
この番組を担当させていただいたからだ。
小玉さんが、わざわざ僕の店まで「話をしたい」とお越しくださったのは
一昨年の10月頃だったと記憶している。

ラジオは顔が見えないだけに喋り手の人間性やメッセージは
何のバイアスもかからずにダイレクトに聴き手に伝わるものだと思う。
それだけに来てくださったことに感謝しながら自己紹介したものだった。
何かお互い通じるものがあるのだと思った。

小玉さんは実はご病気により両目の光を失っている。
五感のどれかを失ってしまったら、残りの感覚が非常に鋭敏になるものだと聞いた。
そんな小玉さんが毎回耳を澄まして
昭和歌謡玉手箱を聞いてくださっていることは大きな励みである。


※真ん中の方はご本人ご希望により画像を編集しております。




そして一昨年の年末特番に昭和歌謡玉手箱を組ませていただき
岩橋元市長と小玉さんご夫妻をゲストに、
美空ひばりのバック演奏を務めた村岡実氏のインタビューも放送させていただいた経緯がある。

小玉さんは戦前のお生まれで、少年時代を満州で過ごした。
そして終戦となり、命からがら満州から引揚げてこられた。
そのご経験はまさに凄絶であった。大人同士が食べ物のために殺し合ったり
妹さんが目の前で餓死するような修羅場を小玉少年は目に焼き付けて生き延びた。

「異国の丘」とは昭和23年ごろ日本で発売。
武装解除した日本兵や民間人がソ連領内の収容所にて
過酷な労働を強いられた、
あのシベリア抑留兵たちが作り歌った曲である。
「倒れちゃならない祖国の土にたどり着くまでその日まで」
という歌詞がまさに万感の思いを持って当時日本中がひとつになった
そんなとてつもないパワーを持った曲である。

「岸壁の母」は昭和29年発売
ソ連からの引き揚げ船に息子の姿を探す母の歌である。
まさに当時の人々の気持ちを
ムードを世相がそっくりそのまま分かるいわば時代を象徴する歌だ。

小玉さんがこの2曲を歌ったのだ。
満州で少年時代に地獄を目撃した小玉さんの歌は
脳天に落雷を受けたような衝撃を持ってまさに僕の耳に入ってきた。
迫力が違うのだ。小泉さんではないが「感動した」
いや、こんなシンプルな言葉では言い表せない。

口幅ったいが
仕事の確立、自己の確立に愛の獲得、理想の追求と
生きていくには難事業があまりにも多く生きるとは戦いだと思う。
だからこそ、歌にも歌い手にもそれ相応の迫力や美意識や価値観を求めてしまう。

この2曲はこんなクソ生意気な僕の要求をしっかりと満たしてくれたのだ。

都城でも三股でもどこであってもその気になって探せばこのようなタレントが、
人生にストーリーを持った方々がたくさんいるのだ。
そう考えるといてもたってもいられない。

最後に
小玉さんご出演のこの番組中に、「草柳大蔵」氏の言葉が出てきて、
この日はラジオ前のリスナーである僕は思わずテンションが上がってしまった。
彼はもう故人となられているが、ダンディズム、美意識や審美眼の塊といった御方であり
僕も昔は草柳氏の著書をずいぶんと読み漁ったものである。
(残念ながらあまり身についてはいないが汗)

草柳氏の唱えた美意識とか作法とか躾という概念はもう世の中から消滅しつつある。
(としみじみ思うこと小一時間・・・)

近いちに、小玉さんの作った「牟田町でっさるく」という牟田町活性化の歌
牟田町初心者の僕がここで歌詞やその内容を紹介します!

投稿日時:2013.03.03(Sun) 22:25:00|投稿者:matsuyamay